この日から、実務面を取り仕切る「実行委員会」が結成され、ツアー企画や資金集めの渉外担当等が決まり活動を開始しました。また、アラスカ公演に向けての練習が本格的に始まりました。
明治8年現在の愛媛県西条市小松に生まれる。重次郎四才の時に父源八が亡くなったため、母セツの親戚のいる素鵞村(現在の松山市日の出町)に移り住む。家が貧しく母に楽な生活をさせたいとの思いから、17才のときにアメリカに密航。「犬ぞり使いの神様」と呼ばれ、原住民さえ踏み込めなかった北極圏を犬橇で探検。多くの金鉱と油田を発掘するなど活躍する。母セツには、いたわりの手紙と送金を絶さず、終生孝養を尽くした。
和田重次郎のアラスカ開拓者としての偉業と母セツへの孝養の精神を顕彰したいとの思いから、上岡治郎氏(元素鵞小学校校長)が平成19年に結成しました。 同年9月に重次郎が育った日の出町の河川緑地公園に顕彰碑を建立する等現在も様々な活動を展開しています。
松山市日の出町出身のアラスカ開拓者和田重次郎の生涯を描いたミュージカル「オーロラに駆けるサムライ~和田重次郎物語~」は、NPO法人和田重次郎顕彰会の主催で、みかん一座が2011年12月1日に松山市民会館中ホールにて、また、24日内子座にて公演しました。さらに、2013年1月13日と14日に坊っちゃん劇場にて公演しましたが、この公演に字幕を付けたDVDをアラスカに行き、「アラスカ和田重次郎顕彰会」に渡したところ、この素晴らしいミュージカルをアラスカでも公演できないかということで、アラスカ顕彰会のトニー中沢会長が中心となって各方面に働きかけました。その結果、自身が理事を務める「アジアン・カルチャルセンター」では、アジアの文化をアラスカの方々に紹介するために、アジア各国が毎年持ち回りでイベントを開催していますが、2015年が日本の順番なので、その時にミュージカルを公演してほしいとの依頼がなされたのであります。
アラスカ公演の実現に向けて愛媛側としても体制を整えるべく、加戸守行氏(前愛媛県知事)を団長とする愛媛の政財界の代表で組織する「日米友好アラスカ公演応援団」の結成に向けての準備が進められました。2013年9月23日にアラスカ和田重次郎顕彰会トニー中沢氏がアラスカ公演の依頼状を持って、来松。坂の上の雲ミュージアムにて、トニー中沢氏からの依頼状とそれを受けての加戸団長の感謝状の授与式が行われました。また、その後、伊予鉄会館にて、「日米友好アラスカ公演応援団」の結団式が開催されました。この日から、実務面を取り仕切る「実行委員会」が結成され、ツアー企画や資金集めの渉外担当等が決まり活動を開始しました。また、アラスカ公演に向けての練習が本格的に始まりました。
この日から、実務面を取り仕切る「実行委員会」が結成され、ツアー企画や資金集めの渉外担当等が決まり活動を開始しました。また、アラスカ公演に向けての練習が本格的に始まりました。
8月24日から31日にかけて、戒田節子座長、中村俊夫舞台監督、松浦宏之コーディネーター、上岡幹夫顕彰会事務局長が、会場の下見及び現地スタッフとの打ち合わせのために、アラスカ各地を訪問しました。
いよいよ4月28日に、みかん一座の劇団員及びスタッフ51名。顕彰会会員等随行10名。一般訪問団20名。内子訪問団14名の総勢95名からなる「日米友好 アラスカ公演訪問団」が松山空港を出発しました。
羽田空港、シアトルを経由してアンカレッジに到着。先行して準備していた中村舞台監督等とホテルで合流し、早速打合せしました。
スワード高校にて、学生や市民300名を交えてミニ公演や交流会が開催されました。
アンカレッジの「パフォーミング・アーツセンター」にて、アジア八か国による各国の文化を紹介するイベント「カルチャーエキジビジョン」にみかん一座が出場しました。
昼休みには、ウェルファーゴ銀行にてプレゼンテーションがありました
1日の本番に向けて綿密な打ち合わせと真剣なリハーサル
30日の夜は、アジアン・カルチャルセンターの理事や和田重次郎の子孫も参加してのキャスティングパーティーが開催されました。
いよいよ「パフォーミング・アーツセンター」にて、アラスカ公演が開催されました。
1,700名もの観客がスタンディングオーベーションでファイナルを迎えました。
アラスカの方々は感激冷めやらず、ロビーはごった返しました。
2015年9月23日アラスカ・スワードでは、アラスカ公演を契機として、マッシャーであるダン・シービー氏が中心となって、和田重次郎のブロンズ像が建立されました。その除幕式に戒田節子座長も参加し、伊予漫才を披露するほか「ふるさと」を参加者全員で歌いました。
2015年4月28日~5月6日 アラスカ公演の様子