事務局として西川暁さんと木原真由美さんに引き受けて頂きました。事業企画書をまとめ、国際交流基金の助成金を申請しその他沢山の手続きを致しました。
シーボルトの弟子、二宮敬作のゆかりの地でもある宇和町でイネが過ごしていた事等から、シーボルトの出身地であるヴュルツブルクと宇和町は友好交流が11年間続いています。 みかん一座は「イネ」を題材にしたミュージカルを過去に2度公演していますが、2001年に宇和町で公演した「オランダおイネ・一番星咲いた」を観に来られたドイツシーボルト協会のラングナー理事長はとても感動され、2004年のヴュルツブルク市誕生1300年記念に、ドイツでミュージカルを公演してほしいという意向を受けました。奇しくも2004年はイネの師でもある二宮敬作が生誕200年を迎え、公演会場であるマインフランケン劇場は建立されて200年を迎えます。ドイツの人達に日本を、そしてイネが過ごした私達の故郷を知ってもらい国際交流の架け橋としてお役にたてると思い、みかん一座は依頼をお受けするに至りました。
私は、自分が生れて育った故郷・愛媛が大好きです。その故郷で多くの人達と手をつなぎ、20年以上もみかん一座の活動を続けることができたのも、大勢の方々の支えがあったからだと感謝しています。 みかん一座はその名のとおり、愛媛にこだわり、地元に題材を見つけて作品を作って参りました。自分の住んでいる町に誇りを持ちたい、そして元気な町づくりがしたい・・・との思いでいっぱいです。 また、このふるさとをたくさんの人達に知ってもらいたいと、県外や海外にも出かけ歌や踊りでPRも行ってきましたが、今回ドイツでの公演のお話をいただいた時は戸惑いました。ミュージカル作品を外国で公演することが私達素人劇団にできるのだろうか? 夢のような話でした。でも、シーボルト協会のラングナー理事長の熱い想いを感じ、お受けすることにいたしました。 今年は、みかん一座創設20年目の節目の年でもあります。大きな夢に向かって精一杯頑張ろうと思います。 また、この公演は愛媛の劇団初のミュージカル海外公演。そしてドイツでは日本のミュージカルはおそらく初めてだろうとも言われています。震えるほどの責任と喜びを感じています。 この公演が日本とドイツの国際交流の架け橋のひとつになることを願い、どんな時も希望を捨てず、成功目指して頑張ります!皆様の応援、宜しくお願い致します。
主人公「楠本イネ」は、ドイツ人蘭方医、シーボルトと日本女性、タキとの間に生まれた娘である。 シーボルトは来日後、長崎に鳴滝塾を創設し日本の若者達に蘭学と医学を教える。その中に愛媛出身の二宮敬作がいた。その後二宮敬作は愛媛に帰り、宇和で医院を開業し、イネは14歳の時、長崎の母の元を離れ、宇和に来て二宮敬作の元で勉学に励むようになる。混血であることから、目の色、髪の色が違うと言われながら辛い日を過ごしたこともあるが、近代軍政の創始者である村田蔵六と恋をするのもこの頃である。やがてイネは周りの人達に受け入れられ、日本初の産科の女医となり、その後、宮内庁の産科医となった。 この作品は、そのイネとそれを取り巻く人達とともに愛媛で過ごした日々を描いたものです。
事務局として西川暁さんと木原真由美さんに引き受けて頂きました。事業企画書をまとめ、国際交流基金の助成金を申請しその他沢山の手続きを致しました。
ドイツ公演の会場下見ため音響担当の和田耕一氏と舞台担当の日之西哲夫氏と、通訳をして下さる和田展子氏同行
愛媛県の沢山の企業代表の方にお集まり頂きました。
第3回応援委員会会議を開く委員会の委員長に吉田秀明氏が就任
みかん一座オリジナルソングをひとまとめにしてCDを販売した売り上げを支援してもらう取組み
愛媛県を代表する企業さんにお集まり頂き、発足会を開催しました。
いろいろな助成金の申請を試みる
神戸にて、シーボルト協会理事長クラインラングナー氏と会談。
海外公演資金を子どもミュージカルのメンバー親子で募金活動を行いました。
募金活動用のツールとしてのウチワにシールを貼る
クラインラングナー理事長とドイツ公演の大壕具の件で松山で打合わせ
シーボルトの娘イネのドイツ公演PRのために松山祭りに参加
ドイツ公演に向け、芝居の稽古に熱が入りはじめる
約80名近くの渡航となるため諸注意等詳しい説明をしました。
中村時広松山市長へドイツへ出発前にごあいさつ
2004年11月1日 松山で凱旋公演をおこないました。